この集落には、勿来の関・白河の関と並ぶ「奥州三関」と称される関所が置かれた歴史があり、古代より関門交通の取り締まりを担ってきました。平安期に設置された古代関所は、天下統一を標榜していた戦国時代に一旦は廃止されますが、江戸期の街道整備の際に再び設置されるようになります。このように鼠ヶ関は、古代と近世、2つの時代に設置されていた歴史があり、前者を「古代鼠ヶ関址」、後者を「近世念珠ヶ関(同音で『ねずがせき』)」と区別して呼称しています。
鼠ヶ関の集落形成は、隣の新潟県村上市伊呉野集落と一体化して広がっており、県境が集落内に引かれているという、珍しい風景を見ることができます。
▲「ここは新潟県最北端」とアピールする伊呉野の集落の入り口にある看板。現在の往来である国道7号線は、集落を迂回してバイパスしています。
▲標柱より県境が明確に引かれていて、こんな感じで「新潟と山形にいる人」ができます。ご丁寧に足の置き場まで印されています笑
▲県堺標の向かいに、県境通過記念スタンプなるものが設置されていました。ある種の観光地となっています、なかなかほかでは見られません。
▲集落の中心には羽越本線鼠ヶ関駅が立地。「きらきらうえつ」も停車します。
▲県境から約1km北方の国道7号沿いに、「近世念珠ヶ関」のモックアップが置かれています。「史蹟念珠関址」の標柱は、大正13年に内務省によって史跡指定されたときに設置されたものです。
取材時期 2017年5月