明神峠は、茨城県常陸太田市と福島県東白川郡矢祭町との間にある、国道349号の峠道です。
この峠道は明神坂とも呼ばれ、近傍には 「境神社」 という、みちびらきの神とされる猿田彦命を祀る神社が、往来を見下ろすようにして建っています。
平成に入ってから県境(この明神峠)周辺の切り通し区間は拡幅され、快走路へと変貌を遂げています。
水戸から北上して阿武隈山地へと至る国道は、久慈川沿いを往く118号と、里川沿いを往く349号の2路線あります。
この2路線は水戸を出て、福島県矢祭町東館で合流します。349号は近年整備されたと言うこともあり、県内屈指の観光地である大子町を経由する118号のバイパスとして、大型トラックなどの通行も頻繁にあります。
▲茨城県内においては、昭和50年の国道制定以来、かつての棚倉街道を踏襲した宿場を貫く細い往来だったこの道を、逐次改良を重ねており、平成14年には改良が完了し、こんにちの姿へと変貌しています。この峠も平成期になって改良が施されました。
改良前の明神峠は、このサイトの記事によれば、少なくとも95年までは、離合に難のある幅員の細い往来だったようです。
▲Webには、明神峠のかつての風景に関する情報は少なかったので、図書館に赴いたところ、『写真アルバム 茨城県北の昭和(ISBN 978-4-86672-001-2)』という書物のp.150の上段に、この写真と同じ場所から撮影されたと思われる交差点の写真が載っていました。本に掲載されていた写真には、1.5車線程度の細い往来が、木々が鬱蒼とした切り通しへと向かって延びていく様子が写っています。興味のある方はそちらもご覧ください。
▲里川入口バス停。上の写真の近傍に立地しています。かつては、峠を越え矢祭町東館まで至るバスも存在していました。
▲バス停から水戸方面を望む。ここから少し下ると、棚倉街道の宿場町だった徳田宿の街並みが現れます。
▲市の支援によって維持されている本路線。本数はご覧の通り。
▲改めて峠の上りを見ます。緩やかに登っていますが、険しくはありません。快走路です。
▲県道22号を山へと登っていくと、里美牧場へと至ります。「里」の字が微妙に小さいですね。この矢羽根の案内看板も、最近では見られない形態で、マニア的価値が上がってくるモノでしょう。
▲所々にある打ち捨てられた側道。旧道のようにも見えます。
▲峠の登りの途中で、右へとそれる道があります。
▲道の奥には「境神社」が鎮座していました。国道からは見えない位置にあり、ひっそりとしています。
▲杉の大木に囲まれた石段を登っていきます。峠の往来こそ改良がなされましたが、この神社の石段の姿は昔からの雰囲気を醸しています。
▲石段を登り切ると車道が現れました。管理用の道路としてあとから敷設されたのでしょう。
▲境神社。猿田彦命を祀る神社として、戦国時代に常陸国を治めていた佐竹氏によって1265年に創建されたと言われています。この神社が明神峠の名の由来になったのでしょう。かつてより重要な往来であったことの証拠です。
▲神社へと至る車道より、現在の道を俯瞰してみます。
▲「起点 福島県」なる標が設置されていました。なにを示しているんでしょうか。
▲例によって、「うつくしま、ふくしま。」のキャッチコピーが記載された看板です。だいたいの福島県境には設置されています。
▲恐らく、この道路上にある継ぎ目が県境と思われます。
▲うつくしま、ふくしま。とは対照的に、こちらは至ってシンプルな、茨城県の看板。
▲茨城側にはちょっとしたロードパークが整備されていました。
▲ロードパーク内には立派なモニュメントがそびえ立っていました。
▲こちらは県の鳥(ヒバリ)・木(ウメ)・花(バラ)の三点セット。
▲反対側。両側には石柱もあり、結構立派です。
取材時期:2019年7月