国道6号の茨城・福島県境は、奥州三関の一つである「勿来の関」の近傍に位置します。勿来は「なこそ」と読むのですが、これは「来るなかれ」という意味で、蝦夷の南下を防ぐという関所の役割がそのまま地名になっています。
県境周辺は、断崖が続く天然要害で、“境界”の雰囲気を醸しています。いにしえの県境の往来は、牛馬の往来が困難なほどの急坂の道だったと言われています。この往来を改善するべく平潟洞門が1774年に開通、劇的に往来が容易になりました。この洞門は昭和期の幅員拡張とともに取り壊され、現在のような切り通しとなっています。
現在の主たる往来である国道6号は、昭和33年の国道改築によって開通した「平潟トンネル」によって県境をパスします。旧国道となった切り通しの往来は、現在は市道になっており、引き続き生活道路としての役割を担っています。
▲国道6号平潟トンネルは、昭和33年3月竣功。60mの長さで、トンネルの中央で県境を跨ぎます。歩道がなく、かつ路肩もほとんどありません。
▲平潟トンネルの茨城側坑口。「道路情報」の管理境界看板はよく福島県境に設置されており、いよいよ福島に入るという気持ちにさせてくれます。
▲出口の風景。水戸までは66km。福島県内とは打って変わって茨城県内は基本的に流れが悪い道になります。
▲福島側の国道6号を俯瞰。周囲は天然要害で、かつて往来に苦心して洞門開通を藩主に願い出た、という話は納得がいきます。
▲福島側の県境集落・九面(ここづら)。勿来漁港を抱える港町です。
▲九面にある平潟入口バス停はなんと朝の1本だけ。勿来駅とを結んでいます。
▲かつての街道往来。県境はトンネル状でしたが、昭和期の拡幅とともに切り通しとなりました。
▲周囲を見渡していたらやはりありました、県堺標。この道がかつて重要な往来であったことを証明してくれます。
▲平潟洞門の碑。洞門開通はこの街道の利便性を飛躍的に向上させたということで、記念碑が建てられています。この石碑自体も1778年建立ということで、非常に歴史あるものです。
▲切り通しを抜け、坂を下ると平潟港にたどり着きます。東廻海運の寄港地とともに棚倉藩の外港の役割も持っていたこの港は、江戸期は大いに賑わっていたそうです。
▲県境から少し北方に行ったところには「勿来の関公園」があり、市民の憩いの場となっています。
取材時期 2015年1月